静寂ノ声

声にならない叫びをありのまま書きつける。

言語の焦点とは(1) 「情報の流れ」

お久しぶりです、絶起用マシンです。

今回の記事は言語に関する考察を割と真面目にやりたいと思います。

興味ない人にはほんとおもしろくないです。

帰っていいです。

 

 

始めますよ?

いいですか?

 

 

 

じゃあいきましょう。ここからは論文調の常体で書きますね。

 

 

文中での情報の流れにはある程度の法則性がある。以下の2つの文例を使って検証してみよう。

1a. 私は太郎です。

1b. 私が太郎です。

 

それぞれの表現を用いる状況を考えると、1a.は名前を問われた際の回答として用いるが、1b.はどの人物が「太郎」であるかを相手が誤解している場合に用いる。このことから、「は」と「が」にはどこに焦点が当たるかに違いがあると考えられる。

2a. ハナは空腹だ。

2b. コウタはテレビを見ていた。

2c. お前はバカだ。

以上の3文例を見てみると、「は」という助詞を使った文の焦点は述部にあることがわかる。では、以上の文例を「が」を使って書き直すとどうだろう。

3a. ハナが空腹だ。

3b. コウタがテレビを見ていた。

3c. お前がバカだ。

こうして見てみると、「が」を用いた文は主部に焦点が当たっていることがわかる。

さて、ここで1aと1bを自然さで比較してみると、1aのほうが1bと比べてより自然で汎用的であるように思われる。もちろんこれだけでは主観的で言語的感覚によるもののように見えるかもしれないが、これは文が旧情報から新情報へと流れ前文の新情報を受けて新たな情報を連鎖的に示すという情報の流れの法則性によるものである。

 4a. 彼の名前はタロウです。タロウは泳ぐのが上手です。

4b. 彼の名前がタロウです。タロウが泳ぐのが上手です。

 4a.の文例では、一文目で焦点を当てた「タロウ」という情報に二文目では焦点を当てず、さらに新しい「泳ぐのが上手」という情報に焦点を当てている。こうして話が先に進んでいくわけだが、4b.においては一文目で既出の「タロウ」に対して二文目で焦点を当てている。こうすると、二文目において得るべき新情報に焦点が当たらず不自然に感じられてしまう。

以上より、フレーズ同士に比較的自然な連続性が感じられるためには前文の新情報を受けた文が繋がる必要がある。

(2に続くかも)

 

P.S. 参考文献なし。